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日々の出来事から思い、動物、科学にわたって様々な自由な内容です。

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第18話 猫との会話

 自室の風景を他の人に見られたら奇妙に思われるは必然だと思っている。部屋の大半はゴミで埋もれて、わたしが自由に使える空間は布団1枚分と、小型の冷蔵庫の上に陣取っているパソコンの設置場所だけである。今の状態はかなり改善されていて、昨年はゴミがゴミ袋に入らないまま散らばっていた。現在ゴミはゴミ袋の中に納まっている。つまり、ゴミ袋が堆く積み重なっているのである。わたしにとって、このような状態は物心ついたときからの普通と呼べる状態で何も違和感を持っていない。ただ他の人がみれば汚いと思うだろうことは想像できている。掃除が嫌いかと問われれば、そうでもないのだから何故このような部屋の状態になるのか不思議だが、その理由は何となくわかっている。掃除をして部屋を綺麗にしても何か興味を持つことが目の前に現れるとそれしか眼中になくなるのである。興味以外のことはどうでもよくなって、自然と部屋は散らかっていく。気がつくとゴミが堆く積み重なっているのである。
 仕事場にいくと、整理整頓された自分の場所であるときと、そうでないときがある。整理整頓するのは、そうしないと仕事が上手くいかないときで綺麗にすることが目的ではない。何かを達成するために綺麗にするのであって、その必要の無いときは綺麗にしない。例えば、農場で作業をするときなどは、服が汚れようが身体が汚れようがお構いなしである。
 わたしは、糧を得るための職というものに頓着した記憶が無い。仕事をして対価を貰えばなんでもよかった。興味と職がたまたま一致すると重宝されたが、そうでないときはそれなりであった。このように自分の性格が偏っていることに暫く前まで悩みもしたが、今では開き直っている。精神障害者と診断された後にいろいろと調べたが、自分の症状と一致するものは見つからなかった。主治医もわたしの症状の原因を特定できずに匙を投げているようである。拠って、現在は投薬によってのみ症状を抑えている状態である。困った症状のことはいつか書いた記憶があるのでここでは書かないが、医者が病名を特定してくれないから自分で勝手に診断している。わたしは、アスペルガー症候群ではないかと思っている。正確に言うとアスペルガー症候群だったと思っている。今では少し緩和されたと思っているが、若いときのわたしの社会性は皆無であったと思う。たまたま、職と自分の能力が一致したため重宝されて、社会性のなさを補っていたのだと思う。
 猫との会話のことを書こうと思っていたら別なことを書いてしまった。わたしは毎日猫との会話を楽しんでいる。おそらく意思の疎通はないのであろうが、それでも猫たちはわたしの希望を聞いてくれることがある。ということはなく、猫とわたしの利害がたまたま一致するからそう感じるだけだと思うが、それでもわたしは猫たちに話しかけている。いつか猫との意思疎通が実現できれば、快挙であると思っている。その日を夢見て会話しているわたしはやはりどこか偏っているのだろうか。偏人であっても変人であっても生きているのだから、それは宇宙の事象の1つとして認めて貰いたいものである。

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