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第25話 宇宙の創造の想像の始まり

 いよいよ、楽しみにしていた本題にはいることができそうだが、ここからが難所ともいえる。導き出した結果をここに載せるというのではなく、ここで何かを導き出そうというのであるから極めて乱雑で整合性の無い、ましてや直線的な読み易い文章となることは期待できない。
 かつて、わたしはいくつもの書籍と出会ってきたのだが、その中で最も記憶に焼きついているのが「複雑系」という書籍である。20年近く前に出会った書籍なので表題が正しいのか記憶は定かでなく、著者の名前も覚えていない。その書籍の主題はこの世界はあまりにも複雑であるが、その複雑性の秘密を解こうとするものであった。3cmくらいのぶ厚さの本で結論が出ていることを期待したのだが、結局結論は無く、21世紀の科学はこの分野の学問が主流となるであろうという締めくくりだったと記憶している。その書籍の書き出しは、経済の相場などの変動の複雑性を扱ったものだったと思うが、あまりにも複雑で解く手法が見つけられないということで、その書籍はどんどんわたしの期待を裏切っていった。その書籍の中で今でも興味を持っているものがある。それは“セルオートマトン”で、単純な白黒(生死)を単純なルールで描いていくと、あるものは発散してしまい、あるものは美しい模様(パターン)を織り成すというものであった。当時何故このような幾何模様を織り成すのか原因(法則)がわかっておらず、書籍では「こういう不思議なものありますよ」程度の紹介であった。
 時は流れて、セルオートマトンに酷似したものにフラクタルというものを見つけたが、これは虚数空間を想定したもので、わたしの興味を僅かに刺激しただけだった。わたしは双方共に、根本となる法則を理解していない。従って、双方共に「こうやれば、こういうものができる」という経験則がわかっているだけなのか、こういう法則があるから単純なものでも一定の法則を加えた組み合わせなどで美しい幾何模様ができることがわかっているのか、わたしは知らない。それならば、そこから学べばいいようなものだが、そうはいかないらしい。何故かと考えてみると、それはわたしの性質にあるらしい。全体(集合)が規定できないと、その部分を考える気になれないようなのだ。そのため、嘘でもいいから全体を規定してみたくなる。
 わたしたちは社会に属している。しかも、複数の社会に属していることが多い。社会を集合と捉えると、含有される集合もあれば、交わる集合もある。しかし、社会の全体集合とはどのようなものなのだろうか。社会を構成する要素は個人であると思っているが、今までどうしても社会と個人の関係というものが受け入れ難かった。前話までで、考慮すべきは要素ではなく、要素と要素の関係であると述べてきたつもりである。つまり、個人という要素が社会を構成しているのは間違いないが、社会の特質を決定付けているのは個対個の人間関係であると思っている。つまり、社会対個は、個対個の組み合わせによってのみ決定付けられるものと思っている。

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