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第30話 猫の習性

 チロは今朝も眠っていた。しかし、今度は冷たく静かに眠りについていたのだ。わたしは、子猫の死にいくつも出会ってきた。チロの死は悲しいが、一昨日の晩に見せた仲間の猫に励まされて嬉しそうな顔を見せてくれたことが記憶に残っていて、比較的受け入れることの出来る死であった。成猫の死も何度か見てきているが、それのほとんどが事故であって、悲しむ間もないできごとなどで感傷に浸る間もなかった。
 幼いころから犬を3匹飼っていたことがあり、1匹目は小学校の低学年のころに自動車に轢かれて死亡したそうである。その犬の記憶はあまり残っていなく、わたしの家族によればわたしの下校の時間を知っていて家から国道の側まで毎日わたしを迎えにきていたそうである。40年も前のことだから放し飼いもそれほどうるさくなかったのであろう。
 2匹目ははっきりと記憶に残っている。黒茶色の樺太犬の雑種で、わたしの母が実家で産まれた子犬を貰ってきてくれたのだった。わたしが小学校の高学年のころで、“クロ”と名付けた。当時、わたしは乳牛の世話を親に任されて一人でこなしていたのだが、その牛の名前は“チビ”で、幼いわたしの遊び相手はクロとチビであった。ヤギも1頭いて世話をした記憶があって、このようにわたしは動物たちに囲まれて育ってきた。そのクロはもう少しで20歳というときに死亡した。
 3匹目は、紀伊犬の雑種で“ドン”と名付けた。名前から想像すると勇ましいようであるが、名前の由来は“どんくさいから”のドンであった。わたしが妻帯して間もなくのことで、わたしと妻はドンを挟んで寝たものだった。


 暫く、動物を飼うことを止めていたが、7年ほど前から猫を飼うようになった。わたしが病となり、妻もいなくなって犬を飼うどころか猫を飼うことも考えていなかった。ところが、何故か妙に懐いてくる野良猫がいるのであった。その猫は野良猫らしくうす汚く、お世辞にも可愛いとは言えなかったが、当時自閉症となっていたわたしには、唯一の友達となっていった。不思議なことに一緒に居だすと可愛く思えてくるのである。名前を“ナツ”と名付けて部屋の中で飼うことにした。とはいっても部屋の窓の一角を開けてナツの出入りは自由にさせていた。ナツはエサをあげると、不思議な行動を示した。すぐにエサに向かうのではなく、飛び跳ねたり、わたしにじゃれついたりしてからエサを食べ始めるのである。わたしはこれを食事の前の踊りと言っていたが、これは猫の習性の1つなのだろうか。
 チロの死は受け入れたが、何年か前受け入れがたい子猫の死を目撃している。このとき、わたしとナツは大喧嘩をしたのだが、一方的に攻撃を加えるのはわたしだけだった。その原因が何かということは書かないが、ネットで調べると猫科の解明されていない習性の1つであるようだった。このときから、猫の流儀には口を挟まないことにしている。チロの死も仲間が猫の流儀で葬儀をあげるのだろう。

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