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第9話 反力

 たまにはWIKIなど紐解くこともあるが、大体が記憶によることが多い。つまり、独善的となり、いい加減な知識の披露であったりするのだが、こうやって文章を書くこと自体が好きなのだから修正はきかないようだ。かといって、調べることが嫌いかというとそうでもないらしい。調べ始めると納得するまで調べつくす。すると、疑問だけが残るのだから不思議なものである。科学の根拠は経験則と実験や観測によるものなので、絶対的な根拠は存在しない。それはそれでいいのだが、多くの場合科学によらないのだが、教師や年上、上位職のものに「それが絶対である」かのように教えられてきたような気がする。これは勘違いによるものかもしれないが、年を重ねてくると権威や権力を持つものでも絶対的なものを持っていないことを知るようになった。だからといって自分が絶対かというと、そうではなく人は皆同じようなものであると思うだけである。そのせいか周囲の人に反抗的であると見られることが多い。自分としては反抗しているつもりではなく、おかしいと思うことの説明を求めているつもりなのだが、これがいけないのかもしれない。  ということで、この話は「反力」について書きたい。これといった結論をもっているわけではなく、ただ疑問の羅列になるかもしれない。  本設定でスペース力を引力と斥力とした。この文章では、これが代表的な反力となる。スペース力は距離を持ち、ノード間の距離に関わらずにスペース力=1とした。時間を回数という整数にしたように距離もスペース力も整数としたいのだが、この話だけということで整数より小さい値を用いたい。思考実験のためだけに用いたい。尚、全てを整数値にしたいのは整数より小さい値が存在すると初期設定より初期のものが存在するような気がするからである。  現実世界に戻ると、圧力というものが存在する。気圧もそうだし、数え上げれば切がない。圧力とは何かをわたしが説明することは困難である。なぜなら詳しく知らないからであるが、イメージすることはできる。ある状態から圧縮しようと力を加えると反発が生まれる。例を示す必要性もないほど自然なことで、これは反力ではないだろうかと考えた。どういう法則でこうなるのかと頭の中を探ってみると、確か物理の3大法則の1つにあったような気がする。最初の2つの法則は何となく納得した記憶があるが、この3つ目の作用・反作用の法則がよく納得できなかったようである。それが今突然目の前に現れたのだからびっくりである。  さて、また空想に戻るとスペース力=1、距離=1の状態から距離=1/2にしようとしたら反力は生まれるのであろうか。これは設定の仕方次第であるが、その仕方が問題である。ところで、設定、設定と連呼してきたが、これはこの宇宙の法則を設定しようとする試みである。少なくともそのはずくらいではある。例えば、斥力の場合2つのノードが離れようとするのを近づけるのだから反力が必要であることは認めたい。しかし、引力は元々2つのノードを近づける力であるから距離が縮まっても不思議ではないはずである。すると斥力には反力があって引力には反力がないことになる。それでもいいのかもしれないが、どうも納得いかない。どこに問題があるのだろうか。頭の中は空転するばかりである。  発想の転換をしたい。現実社会で人に危害を加えると仕返しを受けることが多い。優しくすれば、優しくされることは少ない。これは、宇宙の起源がアンバランスから創造された証拠なのだろうか。ついでに話は逸れていく。優しい人というものは存在しないと考える。優しくされた人が「あの人は優しい」と感じるだけで、本質が優しい人というものは存在しないのではないだろうか。話を無理やり纏めると、感じたものだけが存在する。相互に感じあうから存在しあう。つまり反力とは存在の確認に不可欠のものではないだろうか。

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