freecontentのブログ

日々の出来事から思い、動物、科学にわたって様々な自由な内容です。

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第26話 膨大な数の分枝

 威勢ばかりがよくて、なかなか本題に入れなかったが、ここら辺で思い切りをつけたいと思う。本題に入れなかったのは、イメージが漠然とし過ぎていて何から書くべきか悩んでいたからである。単純なことから入れば道は開けるはずだと思って書き始める。この世の常であるが、先のことはわからない。従って、道は閉ざされるかもしれないが、そのときは、またここに戻って悩むとしよう。
 完全グラフに一定の条件を加えてツリーを作成すると、奇数ノードには線分が偶数ノードには点集合+集合SCが分枝されると記述した記憶があるが、訂正したい。本当はどうでもいいことなのだが、わたしの気がすまなく頭の中の整理がつかないのである。つまり、イメージを混乱させる一因となっている。拠って、こういうことにしたいと思う。
・ 親ノードは全体集合である。(ここが奇数ノード)
・ 子ノードは親ノードから得られる完全グラフのC(Connection)全てである。(偶数ノード)
・ 偶数ノードから分枝するのは、集合PLとPRである。PLとPRは同一の集合SCを持っている。(奇数ノード)
 補足になるが、集合SXは下位のツリー構造から除外される。何故なら、集合PRから完全グラフを作成すると集合SXの要素はその中に含まれないからである。集合PRは集合SXの一端(点)を有するが、一端は集合PLに属しているからである。集合PLも同様である。
 さて、ここで集合PRを切り出したい(集合PLでも同様である)。本来ならば、集合SCも考慮しなければならないのだが、思考を単純化するために集合SCのことを保留としたい。
 またまた、脱線するが宇宙に存在する点は何個あるのだろうか。点を原子として数えてもよい。おそらく数えることは不可能で10の何兆乗個とかそれより遥かに多いかもしれない。言いたいことは、わたしが全体集合としているのはこの膨大な数の点なのである。しかし、その点を電子や原子、陽子、中性子などとすると非常に具合が悪くなる。何故ならそれらは既に特性を持っていて、わたしの思考の妨げとなるからである。このような我が儘が許されるのは数学という学問分野の特権で、問題は意味のある結果をだせるかだけに存するのである。
 話を戻していきたいが、ツリーのノードの階層を1回や2回構築してみても膨大な数は減らないであろう。分枝によって何層もの構造が築かれるものと予想する。何層くらいのツリーになるかと計算してみると、全体集合の点の数をNとしたとき、階層数=logN!となる。但し、底は約Nの2乗である。このNの2乗は完全グラフのCの数である。この計算は概ね正しいのだろうか。概算だからこの先に影響を与えることはないが、式に全く自信はない。
 ついでであるから、1つの呼び名を決めておきたい。ノードという単語が違う意味なのに頻繁に現れる。錯覚を起こすといけないからツリーのノードをTNと呼びたい。

第25話 宇宙の創造の想像の始まり

 いよいよ、楽しみにしていた本題にはいることができそうだが、ここからが難所ともいえる。導き出した結果をここに載せるというのではなく、ここで何かを導き出そうというのであるから極めて乱雑で整合性の無い、ましてや直線的な読み易い文章となることは期待できない。
 かつて、わたしはいくつもの書籍と出会ってきたのだが、その中で最も記憶に焼きついているのが「複雑系」という書籍である。20年近く前に出会った書籍なので表題が正しいのか記憶は定かでなく、著者の名前も覚えていない。その書籍の主題はこの世界はあまりにも複雑であるが、その複雑性の秘密を解こうとするものであった。3cmくらいのぶ厚さの本で結論が出ていることを期待したのだが、結局結論は無く、21世紀の科学はこの分野の学問が主流となるであろうという締めくくりだったと記憶している。その書籍の書き出しは、経済の相場などの変動の複雑性を扱ったものだったと思うが、あまりにも複雑で解く手法が見つけられないということで、その書籍はどんどんわたしの期待を裏切っていった。その書籍の中で今でも興味を持っているものがある。それは“セルオートマトン”で、単純な白黒(生死)を単純なルールで描いていくと、あるものは発散してしまい、あるものは美しい模様(パターン)を織り成すというものであった。当時何故このような幾何模様を織り成すのか原因(法則)がわかっておらず、書籍では「こういう不思議なものありますよ」程度の紹介であった。
 時は流れて、セルオートマトンに酷似したものにフラクタルというものを見つけたが、これは虚数空間を想定したもので、わたしの興味を僅かに刺激しただけだった。わたしは双方共に、根本となる法則を理解していない。従って、双方共に「こうやれば、こういうものができる」という経験則がわかっているだけなのか、こういう法則があるから単純なものでも一定の法則を加えた組み合わせなどで美しい幾何模様ができることがわかっているのか、わたしは知らない。それならば、そこから学べばいいようなものだが、そうはいかないらしい。何故かと考えてみると、それはわたしの性質にあるらしい。全体(集合)が規定できないと、その部分を考える気になれないようなのだ。そのため、嘘でもいいから全体を規定してみたくなる。
 わたしたちは社会に属している。しかも、複数の社会に属していることが多い。社会を集合と捉えると、含有される集合もあれば、交わる集合もある。しかし、社会の全体集合とはどのようなものなのだろうか。社会を構成する要素は個人であると思っているが、今までどうしても社会と個人の関係というものが受け入れ難かった。前話までで、考慮すべきは要素ではなく、要素と要素の関係であると述べてきたつもりである。つまり、個人という要素が社会を構成しているのは間違いないが、社会の特質を決定付けているのは個対個の人間関係であると思っている。つまり、社会対個は、個対個の組み合わせによってのみ決定付けられるものと思っている。

第24話 凹凸図形の複雑さ

 凹図形と凸図形ではどちらが複雑かと問われたならば、わたしは間違いなく凹図形であると答える。その前提となっているのが、前話までの雑な説明なのだが、前提の条件が変わればそうでないのかもしれない。
 凹図形と凸図形で完全グラフを描いてみると、線分の交点数が凸図形で最大数となる。凹図形でもノードが内側に多いものほど交点数が減っていく。前提によると交差する線分、つまり交点を持つ線分は集合SXに含まれて消滅していくのだから情報量が減っていく。情報量が減るということは、即ち単純化していくということである。1つの例として凸図形を巡回セールスマン問題で解くと、一意に最短経路が求められる。最短経路は外周となるのである。
 以前、受精卵が胚となり陥入という振る舞いによって臓器などが形成されていくということを知って、内側にこそ複雑さがあり知られざる宇宙の神秘があるのではないかと嬉しくなったことがある。結局、何も閃きは起こらず、ただの喜びだけに終わったのだが、今回は少しでも内側の神秘に近づきたいと祈っている。ところで、陥入とはの説明を忘れていたが、こういうことであるらしい。受精卵が細胞分裂を5回行って細胞を32個作り、その細胞のいくつかが内側に窪んでいくらしい。すると口とお尻の穴ができるようで、この状態のとき部位は3つに区分されるようだ。3つに区分された部位はそれぞれ臓器になったり骨になったりするらしい。この陥入の最中も細胞分裂が起こっていると想像しているが、真実をわたしは知らない。昨今話題になっているiPS細胞がどの段階のものであるのかも知らないが、どこかの過程でiPS細胞はiPS細胞とはならなくなり専門細胞となるはずである(生物学用語で専門細胞というのか知らないが、イメージとしてはそういうことであろう)。
 話は変わって、表現について述べたい。集合論もグラフ理論も僅かであるが、数式で表現される。ところが、組み合わせの複雑さを表現する手法が現在存在しない。数式だけでは、イメージを表現できずにわたしは苦慮しているのである。わたしの説明が雑ないい訳ばかりしているが、実は文章を書くよりプログラミングにより実例を示したほうが早いと思っているのである。何を書きたいのか混乱してきたが、おそらくこういうことをわたしは言いたいのであろう。「数式では宇宙を表現できない」と。


 ブログとして書いていることが、こんなにも気楽であると思ったことはない。仮に論文だったとしたら、今夜は寝られなかったであろう。