freecontentのブログ

日々の出来事から思い、動物、科学にわたって様々な自由な内容です。

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第23話 分解の後に

 わたしの文章が酷く不親切で理解に苦しむであろう原因の言い訳は、第22話で済ませたものと勝手に思っている。従って、N!(階乗)の組み合わせ数の要素をツリー状に分解できるとするわたしの論理展開を真か偽かと議論する予定は全く用意していない。もしもであるが、わたしのブログに興味を持って「何故?」とか「そこがおかしいよ」とか言う人が現れたら議論することは厭わないつもりである。現段階でほとんどいないと思われる読者の方のためにわたしの体調を削るつもりはないのである。  前話までのまとめとして、重要なのは次のことである。
・ 膨大な計算量を処理するとき、要素そのものを対象として処理するのではなく、要素間の関係を処理しなければならない。ついでなので、要素間の関係をC(Connection)と呼ぶことにしたい。(今までスペースとかエッジとか呼んでいたものである)
・ ツリー構造の偶数ノードに現れる集合PLとPR、集合SCを交わる集合と呼びたい。
・ 集合SXは消滅する集合である。
 と、あくまでも不親切な内容を記述していくが、わたしは早く今回の着想に到達したいのである。巡回セールスマン問題の解法はわたしにとっては残骸で、何も意味を持っていないと思っている。故に、残骸の結果だけが前提として必要なだけであるので、不親切な内容となっていくのである。不親切なのはわたしではなく、文章であることをご理解いただきたい。
 ツリー構造に分解した要素を末端のノードから順次繋ぎ合わせて複数の単純閉路を生成する。生成された単純閉路の中で最短のものが答えとなる。久しぶりにWIKIで閉路のことを調べたが、トポロジカルソートというものに出会った。ざっと目を通すと面白そうなことが書いてあったが、理解しようとは思わなかった。わたしが今考えている面白そうなことの方が優先されたのである。
 この世界はある一定の条件を加えると2分できると考えている。但し、完全に2分するとそれは完全独立系となって別世界と同じことになる。2分した要素を繋ぎ止めるのが集合SCなのである。
 2分木の説明のとき、要素の投入順によってツリーのノードの深さが異なることを示した。つまり、要素の配列順によってツリーは偏ったものとなる。同じようにこの解法のツリーでも座標値によって偏るツリーが多く存在することになる。この解法を得たとき、それが大きな問題だったが、今ではそれがこの世界を複雑にしている一因ではないかとむしろ期待を持っている。

第22話 心理的ホラー

思い返せば、わたしは十数年前から得体の知れない恐怖に襲われていた。どのような恐怖かというと説明はできない。何故なら、何に恐怖しているのかわからないからである。今では精神疾患の1つの症状であると知ったが、それが何の役にも立たないことも知った。ただ、恐怖の種類を医学的に分類されただけで、恐怖の原因を医者といえども教えてくれることは出来ないのだ。だからと言って、わたしが主治医を恨む筋合いは全く無く、ただ自分の運命を呪ったり諦めたりするだけである。というのも嘘になって、運命を呪ったり諦めたりすることもない。そもそも、恐怖に襲われているときはそんなことを考える余裕は全く無いのだから、他人に責任を転嫁しないわたしは人格者ということになる(はずであろう)。どういう状況になれば恐怖が襲ってくるのか少しはわかっていた。例えば、電車の中などで、身体の自由が拘束されているときなどである。誰かに強制されて電車の座席に座っているわけではないのだが、じわじわとそして突然恐怖は襲ってくる。叫びたい気持ちになるのだが、我慢しているのか叫ぶことすらできないのか、とるべき行動は次の駅で下車することとなる。下車するとホームの行きつけの売店で生ジュースを購入してほっと一息いれるのだが、問題が2つあった。1つは生ジュースが300円とか500円するので10駅近くの通勤区間で思わぬ散財をすることである。もう1つは、通勤に時間がかかりすぎて遅刻することであった。遅刻といえばと、思わぬ脱線をするところだったが、ようやく思い止まった。遅刻を話題とすれば長くなるからこれでいいのだろう。
  暗闇も恐怖の的であったようだ。暗いと眠れないのである。必然的に眠りにつくのは明るくなってからとなる。これも遅刻の原因であるが、それもよしとしよう。最近では得体の知れない恐怖が襲ってくることは少なくなって快適であったが、また始まりつつあるようなのである。その原因も微かではあるがわかっているつもりである。
  巡回セールスマン問題のことを深く考え出したり、プログラミングしたりしようとすると身体の不調と共に恐怖は襲ってくる。何故なのかは、よくわかっていない。医者に説明することもできずに、ただ自分の体調と相談しながら書き進めるだけである。一度、医者にこのことを相談したことがあるのだが、医者はわたしが何を言っているのかわからないようで、相談は一方的に打ち切られてしまった。医者の気持ちもわからなくはないので、恨むことはしていない。幸い巡回セールスマン問題の話題はあと2話か3話で終わるはずである。説明が酷く不親切で理解に苦しむだろう文章は、このことも一因となっている。わたしの中で巡回セールスマン問題の話題はタブーのようなのである。もちろん、わたしの説明下手と文章力や表現力のなさが、理解不能な文章の最大の原因と思われるが、恐怖も一因であるとの言い訳も少しは考慮して頂けただろうか。
  尚、現在原因不明の右膝痛に悩まされていて明日病院にいってみるつもりである。ついでに、数日前から偏頭痛も起こっていて痛み止めを服薬しているのだが、なんとも不自由な身体になったものである。

第21話 錯覚の子猫

 4日ほど前にデビューした子猫たちのことを記事にしたが、その日わたしは大きな錯覚を起こしていた。結論から言うとデビューした子猫たちは3匹ではなく4匹だった。何故に錯覚を起こしたかと考えるまでもなく、理由は明白だったのだが、2日ほど錯覚は続いたのであった。
  名前をつけて猫たちを呼んでいるのだが、どうしても名前とその顔や姿が一致しなかった。“みっけ”と名づけた子猫は三毛猫の態をしているので間違えようはなかったが、残りの3匹が問題であった。余談であるが、今その“みっけ”が膝の上にやってきて「ミャーミャー」と何かを訴えている。残念ながら“みっけ”との意思の疎通は難しく何を訴えているのかわからない。
  さて、3匹の子猫であるが、身体全体が白を基調としている。ところどころに薄い灰色の紋様を持っていて、よく似ているのである。他にも少し大きくなった子猫たちがいて、お乳を奪い合うように母猫に群がっているのである。その由で、わたしは3匹を2匹と錯覚したのだが、思い込みとは怖いもので2匹だと思っていたため3匹の子猫たちと名前が一致しなかったのである。
  暫くしてから3匹いると確信したのは、3匹が同時に目に付いたときだった。「あれっ」と思ったわたしは、「なんだ、3匹いたのか」と知ることになり、名前を付け直さざるを得なかった。子猫の名前は特別な意味を持っていない。その時、頭に浮かんだ単語をそのままつけるのが慣わしである。その猫を個別に認識するためだけに名前をつけるのだが、名前とは不思議なものでいつの間にか名前に愛着を持ってしまう。そのためあまりいい加減な名前をつけないようにと心掛けているのだが、つけるときはやはりいい加減になる。
  錯覚していたのは子猫の数だけでなく、母猫の数もそうであった。4匹だと思っていたのだが、実は5匹いた。忘れられた母猫の1匹はあまりお乳が出ないようなのだ。よって、わたしはその母猫が母猫だと認識しなくなってしまったのだ。昨日、例年のように猫たちの系図を更新していた。どの子猫がどの母親から生まれたのかエクセルを使って系図としているのだが、どうしても子猫の母親を特定できないでいた。近々のことであるからいくつかの状況を思い出して、「クウも母親だったのか」と思い出した。
  我が家だけかもしれないが、母猫は自分が産んだ子猫でなくともお乳をあげる。従って、子猫も実の母親が誰であるのかわからないらしい。そこにお乳があれば、争って貪るように群がっていく。悲しいことだが、力の弱い子猫はあぶれることになる。しかし、他の母猫が「おいでおいで」というので、今のところお乳の資源が足りないということはないようだ。子猫たちも大きくなってきていて、ドライフードも食べるようになった。一番小さい“みっけ”でも食べている。“みっけ”の体長は頭の先から尻尾の先までで20cmに足りない。ひ弱で生存を心配していたが、ドライフードを食べているから一安心と思っている。